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むj─。.゚+:ヾ(*・ω・)シ.:゚+。──! 隠れ山下日記

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2007年 03月 08日

knowledge is power

言葉の上ではなんとでも言える、まさに言葉とは幻想を生み出す産物だ。

そういう意味では普段私たちが現実、と呼んでいるところのものも、認識というものによって歪め

られた幻想にすぎない。

と、まあこれはこのブログで時々真面目なこと書くと出てくる僕の考えなんですがね。

要するにプラトン流に言えばイデアの影としてのこの世界。

カント流に言えば、もの自体の世界は知ることは出来ない。




 まあこの話からは少しそれたところに今日の本題はあるんですが、言葉と認識のずれ、って

いうお話を少々。

例えば僕が今ここで、こう言おう。

「えーじあさんはTyr最強のプレイヤーで頭がよくてかっこよくて年収2億5000万で、スレンダ

ーで巨乳でクマさんパンツ!」

最後のほうなんか願望とかが入り混じってわけがわからなくなってますが、まあこれを聞いた人

は鼻で笑うでしょう、特にマティスとか鼻で笑いそうだな、うっわむかつく。

つまりそれは、この発せられた(あるいは記された)言葉と見た人との認識が食い違っていたわ

けです。

そんなの当たり前じゃん、って思うかもしれないけど、普段我々は他人と認識が食い違いまくり

ながら会話を成立させてると思うんですよ。

例えば、ネズミという言葉に対する認識だって100人いれば100通りあるわけじゃないですか。

ある人はミッキーみたいなのを思い浮かべるかもしれないし、ある人は動物実験のネズミを思い

浮かべるかもしれない。

けれどもそんな風に頭の中で思い浮かべられてる図は全然違うのに、

「ネズミって可愛いよね」 「そうだね」

っていう風に会話が成立してしまう。


まあこれは考えてみれば当然のことですよね、言葉ってのは表される対象そのものでなく、

対象を記号化してるわけですから。記号?象徴のほうがいいのかな?

スプートニクの恋人のラストのほうで、記号と象徴の違いがわかる?っていうくだりがあったな。

まあ関係ない。



んでなんかまとまりを欠いた話をしたけど、こう言った言葉と認識の違いは他人との間だけでな

く自分の中でも起こってるんですよね、齟齬があるのに我々は表現と言うもののほとんどを言

語に頼らなければならない、これが最近すごく歯痒くてですね。


確か羊をめぐる冒険のくだりだったと思うけど、君は思念のみが渦巻き、表現と言うものが根こ

そぎ奪われた世界を想像できるかい?地獄だよ。っていうのがあったね。

それは本当に地獄だよね・・・他人に対して何かを伝えられないと言うこともそうだけど、何より

自分に対する表現すら失われてしまったら、それこそまさに血の池でも針の山でも、閻魔様に

舌を抜かれることでもかなわない地獄だよ。



最初に言いたかったことと全然違う文章になっちまった、おやすみ。

by asiaJ | 2007-03-08 03:58


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